2014-05-12 時間と言葉 経済と社会 やっぱりウェーバーとアドルノ、ハーマンで生き続けると思います。 相互的に脅迫的な生活して、目が犯されている因果的なこの環境をどうするのか、 音楽社会学、そして声の(<臨床>)社会学を構築するコミュニケーションをどう あざまさんと共有できるか、等身大の声を位相空間的に(非匿名的に)表現できるか? これがうまくいかなくなったら、やっさんとタイで、かっちんとタヒチで生きていきたいです。