時間と言葉  経済と社会

やっぱりウェーバーアドルノ、ハーマンで生き続けると思います。
相互的に脅迫的な生活して、目が犯されている因果的なこの環境をどうするのか、
音楽社会学、そして声の(<臨床>)社会学を構築するコミュニケーションをどう
あざまさんと共有できるか、等身大の声を位相空間的に(非匿名的に)表現できるか?
これがうまくいかなくなったら、やっさんとタイで、かっちんとタヒチで生きていきたいです。