声の理論への序章

アウシュビッツ、原爆、ベトナム9・11の数多の戦いの後の沈黙の声、つまり声なき声を、「あとから聴いた」以上、われわれはさらに未来へ向けて「生存の美学」(個的に生きる)から、ミッシェル・フーコーのいう「実存の美学」(人に生きる)をもって、心身ともに振舞いながら(自己統治における)<声>を行使しなければならない。その努力の先に我々はアラン・バティウのいう「声の倫理」を見出すであろう。