Farewell そして、ありがとう。

僕が初めて日産スタジアム横浜国際競技場)に行ったのは、西華産業を病気で退職し、引きこもりがちになったとき、日韓ワールドカップの少し前のことです。確かマリノスエスパルス戦でした。試合中、広場恐怖で帰り道を怖さ一杯で母と帰った記憶があります。スタジアムは選手も豆粒みたいでとにかく大きかったです。本当に。その中に松田選手もいたと思います。僕は、ジーコ・ジャパンのときになぜ松田選手が外れたのか、残念に思っていましたが、今振り返れば、ラテンのフレキシブルなサッカーには、ドイツのローターマテウスみたいな闘魂あらわにしたリベロ的なDFは不相応だったのでしょう。文化人類学や死生学を紐解くまでもなく、新たなものが生まれるには「犠牲的なもの」が伴うといわれています。「なでしこジャパン」のワールドカップ優勝の記憶が新しいときに松田選手の訃報が届きました。日産スタジアムで一人ゲリラ・アカペラをしている僕は、今度どんな曲でパフォーマンスすればいいのか、まだ迷っています。昨日の日韓戦、日本は復活しました。元気だして行きましょう。